Q&A 遺産分割前の預貯金の引き出し
質問
預貯金が相続財産に含まれるようになり、遺産分割が成立しないと預貯金が引き出せなくなったため、夫の葬儀費用(150万円)が用意できず困っています。
また、相続債務(500万円)も支払う必要があるようです。改正相続法では何か対策がされていないのでしょうか。
回答
1. 旧法の問題点
かつては、銀行の普通預金などの可分債権は、相続開始により当然に、法定相続分に応じて各相続人に分割帰属するとするのが判例の立場でした。
しかし、平成28年に最高裁判例が変更され、共同相続された普通預金債権は、相続開始と同時に当然に相続分に応じて分割されることはなく、遺産分割の対象となると判断されました。この判例の立場からすると、普通預金債権は共同相続人全員が承継することになるため、預金の払い戻しには全員の同意が必要となります。
この状況で、ご質問のケースのように必要な葬儀費用や相続債務の返済などの資金需要がある場合、現行法であれば、1. 相続人全員の同意を得て預貯金のみを一部分割する方法、2. 家事事件手続法上の仮分割の仮処分を利用する方法が考えられます。
しかし、必ずしも相続人全員が、預貯金の一部分割に同意するとは限りません。また、仮分割の仮処分は、「急迫の危険を防止するために必要があるとき」という要件があり、極めて限定的な事例でしか利用できません。
そうすると、相続人は、資金需要があるにもかかわらず預貯金の払い戻しを受けられないことになり、不都合が生じます。
このような問題意識から、改正相続法では、一定の要件のもとで、相続人単独での預貯金の払い戻しが認められています。
2. 改正相続法
-1 預貯金債権に関する仮分割の仮処分
まず、改正相続法では、預貯金債権に関し、従来の仮分割の仮処分よりも要件を緩和した仮分割の仮処分の制度を創設しました。
新設された制度では、家庭裁判所は、以下の要件をみたす場合には、遺産に属する預貯金の全部または一部をその者に仮に取得させることができるとされています。
- ① 遺産分割の審判又は調停の申立てがなされていること
- ② 相続財産に属する債務の弁済、相続人の生活費の支弁その他の事情より、預貯金債権を行使する必要があると認められること
- ③ 他の共同相続人の利益を害しないこと
- ④ 仮分割の申立があること
この制度ができたことにより、従来のように「急迫の危険」がなくても、預貯金債権を行使する必要性が認められれば、仮分割の仮処分の制度が利用できるようになりました。
ご質問のケースでは、相続人の財産では葬儀費用や相続債務が支出できないとのことなので、預貯金債権を行使する必要性があるといえるでしょう。
また、③他の共同相続人の利益を害しないこと、という要件についてですが、原則として、遺産の総額に法定相続分を乗じた金額の範囲内であれば、他の共同相続人の利益を害する場合にはあたらないとされています。
相続債務を支払う場合には、他の共同相続人の利益となるため、法定相続分を超える金額でも仮分割の仮処分が認められると思われます。
したがって、ご質問のケースでも、この制度を利用して預貯金の払い戻しを受けることが考えられます。
しかしながら、この制度は、要件にもある通り、遺産分割の審判または調停の申し立てがなされていることが前提となります。
遺産分割の調停の申立ては必要書類等の準備に一定の時間がかかるので、葬儀費用のように、早急な資金需要が発生した場合には対応できないことになります。
-2 預貯金の払い戻し制度
そこで、改正相続法では、各相続人が、相続開始時の預貯金の3分の1に法定相続分を乗じた金額については、単独で権利を行使することができるとされています(裁判所を介する必要はありません。)。
ただし、単独での払い戻しには上限が設定されており、現時点の法務省令案では、金融機関ごとに150万円が上限とされています(法務省令案では、一般的な葬儀費用の金額や平均的な生活費などを考慮しているようです。)。
具体的に各相続人が払い戻しを受けられる金額を検討していきます。ポイントは、払い戻しの上限額は個々の金融機関ごとに設定されているということです。
Case1.
相続人 | 妻、子2人 |
---|---|
預貯金 | 1800万円(A銀行のみ) |
ア. 妻が払い戻しを受けられる金額
1800万円×1/3×1/2=300万円>150万円→150万円
イ. 子が払い戻しを受けられる金額
1800万円×1/3×1/4=150万円
Case2.
相続人 | 妻、子2人 |
---|---|
預貯金 | 1800万円(A銀行に1200万円、B銀行に600万円) |
ア. 妻が払い戻しを受けられる金額
A銀行 1200万円×1/3×1/2=200万円>150万円
B銀行 600万円×1/3×1/2=100万円
→A銀行から150万円、B銀行から100万円=合計250万円
イ. 子が払い戻しを受けられる金額
A銀行 1200万円×1/3×1/4=100万円
B銀行 600万円×1/3×1/4=50万円
→A銀行から100万円、B銀行から50万円=合計150万円
このように、払い戻しを受ける上限が個々の金融機関ごとに設定されているため、同じ金額の預貯金でも、1つの金融機関に全額を預金するよりも複数の金融機関に分散させていた方が、払戻しを受けられる多くなる場合があります。
預貯金の払い戻しを受けた相続人は、遺産分割(一部分割)により当該払い戻しを受けた部分を取得したものとみなされます。
この制度の問題点は、葬儀費用や当面の生活費用の工面を想定しているため、払い戻しができる上限額が設けられていることです。そのため、相続債務が上限額を超過している場合などには、前述した仮分割の仮処分を利用せざるを得ないでしょう。
3. 施工日
平成31年7月1日から施行されるため、同日以降に相続が発生した場合に改正相続法が適用されます。
4. まとめ
以上の通り、改正相続法では、預貯金に関する仮分割の仮処分、預貯金債権の単独行使が認められています。
今回のケースでは、相続債務については仮分割の仮処分、葬儀費用については預貯金の単独行使で対応することがよいと思われます。